素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№679 村境は山の頂上

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 昭和31年3月16日、本村と大野町との境界を明らかにする必要が生じたので、緊急に村議会の協議会が招集された。問題は阿品部落、田尻の村境から、山頂のオドネ境に連なる境界の不確実な箇所を明らかにする方法であった。

 これは、相当意見を闘わせた結果、早急に大野町に連絡して双方協議のうえ、要所要所に境界標を打ち込む、ということに落ちついた。要所とは大体神馬谷、ナマコ山、赤子谷などである。

 この協議に附随して、阿品の奥の村有林を間伐する問題についても審議された。その結果、
一、間伐本位に切ること。
二、伐採は阿品部落の希望者のうち出来得る限り経験者とすること。
三、間伐に対する日当は出さないが、切った木は個人の取得とする。
四、無暗に切ってはならないので監督者を一名つける。

 伐採者を阿品部落の経験者としたのは、間伐現場が大変困難を極める所なので、実際問題として考慮が払われたわけである。

 今一つ当日協議されたのは、スリコギ谷及び長サコの谷の立木売却についてであった。これは、三月二十日に指名競争入札することに一致し十三名の指名、その他入札日に関する重要事項等が決定された。
Commented by hitoshi at 2015-01-23 19:43 x
私の生家には、「阿品のおじさんがくれた松の木が使ってある」と聞いています。(私の記憶がはっきりしていないので、
「幸さん」なのか「彦さん」なのかわかりません)。
丁度、昭和30年とか31年くらいの話しだと思います。
Commented by hirosan_kimura at 2015-01-24 11:22
 松の木を提供したのは「幸一おじさん」だと思います。我が家には持山は有りませんでしたが、おじさん方には鰆浜の奥に山が有ったように聞いています。その山も阿品台の開発により大半が無くなり今では法面が僅かに残っているのみです。今では信じられませんが、この山では「松茸」がたくさん採れていたそうです。
Commented by hitoshi at 2015-01-25 23:21 x
幸一伯父さんでした。
どういう基準があったのか、私は知らないですが、県から村へそして村民にみたいな山の権利があったみたいですね。うちにも、うちの山があって、貝殻かなにかで境界が示してあったような気がします。うちの山は山火事で大きな木はなくなっていました。母方の祖父の山で松茸を採った記憶があります。採れる量でいえば、石内の伯父の山は松茸山で出荷もしていたようです。小さい頃、父に自転車で連れていってもらいました。
Commented by hirosan_kimura at 2015-01-26 10:08
 コメント有難うございます。今では松茸は貴重品ですが、昔は子どもでも裏山に登って探せば松茸が採れたなど今では信じる人も僅かとなってしまいました。最近はブログも休みがちですが、一段落したら再開したいと思っています。
by hirosan_kimura | 2015-01-21 14:19 | 地形 | Comments(4)