素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№594 阿品公民館開館

e0125014_11361341.jpg昭和56年5月23日 阿品公民館オープン 
 
 地御前のふるさとの匂いが、いまだに残っている山陽本線のほとりに阿品公民館ができました。
 風薫る新緑に浮かぶその姿は、阿品地区住民の心のつながりの場であり、学習の場でもあるべき公民館本来の役割を、象徴しているともいえるでしょう。

 地域の人々に愛され親しまれる公民館を念願し、地域の人々と共にそのんsksみを、創造していきたいと考えております。ご意見ご希望を率直にお寄せください。

 先般実施しましたアンケートにつきましては、町内会長さんをはじめ、皆様のご協力をいただきありがとうございました。この結果にもとづき教室・クラブの活動を、7月中旬より開始いたします。近日中に阿品公民館だよりで、会員の募集を行ないますが、多数ご参加いただきますようおまちしております。

 人の集まる場所は集会所程度の広さしかなかった阿品地区に、立派な公民館が出来たのは阿品地区住民には大きな喜びであったが、それまで慣れ親しんできた地御前公民館との別れでもあった。公民館を利用するのに地域の制限はなかったが、地御前公民館に長年習い事に行っていた母が、阿品公民館完成後に友達もたくさん居り慣れ親しんだ地御前公民館に行った際「阿品にも公民館が有るのに何故地御前公民館に来るのか」と言われて寂しかったと話したことがあった。

 小学校区も変わり長年一心同体で付き合ってきた地御前地区と、少しずつ縁が薄くなって行くことは阿品地区住民にとっては寂しい限りであった。

 阿品公民館の初代館長は「高橋攝助先生」であった。この先生は地御前小学校に長年教職に就いて居られた方で、自分も3・4年生の時の担任の先生である。非常に厳しい先生であったが特技は授業中に無駄話などしている子ども目がけてチョークを投げて当てることであった。教壇から後ろの席の子どもに投げても当てられるとような驚くべき命中力であった。

 今の時代なら子ども目がけて頭や顔にチョークを投げたりすると、暴力だとと問題になるかも分からないが当時は投げられた子どもが悪いのだと問題にもならなかった。

 このように非常に厳しい先生であったが、子どもたちにも地域の大人にも親しまれていた。高橋先生が館長になられた当時は、公民館に用事が無くても成人した子どもたちも地域の人々も先生を訪ねては、昔話や世間話をしに行っていた。地域の人々に親しまれていた高橋先生も亡くなられて久しい。
Commented by Fujio K at 2014-01-17 22:39 x
Hirosanが3,4年生の時、小生は5,6年生だったのですが、高橋摂助先生の名前が思い出せません。
多分、当時まだ20代の人で、特に音楽に秀で、ピアノ、歌唱のうまい男先生ではないでしょうか。
当時学校前の村上の旦那さんの屋敷内に下宿しておられたように記憶します。
多少短気な人だったけれど父兄や村人の受けは良かった。
Commented by hirosan_kimura at 2014-01-18 10:39
コメント有り難う御座いました。高橋先生は昭和26年4月から34年3月まで地御前小学校に在職でした。音楽が得意であった記憶に有りませんが、大柄で眼鏡を掛け見かけは厳つい先生でした。遠い昔のことなので担任か印象に残る先生で無いと記憶がありませんね。
Commented by Fujio K at 2014-01-18 13:56 x
小学校の卒業アルバムを取り出し、教職員の集合写真を見て高橋先生がどの人か判りました。
小生は「若林先生」と勘違いしていました。
Commented by hirosan_kimura at 2014-01-18 20:39
 私は若林先生は記憶がありません。明日は全国都道府県対抗男子駅伝が行なわれます。NHKで全国中継されるのではないかと思います。そちらで見れれば是非見てください。地御前・阿品などの沿線が見れますよ。
by hirosan_kimura | 2014-01-17 11:57 | 社会 | Comments(4)