素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№555 沖島

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 沖島付近は現在地御前五丁目に属する。元々阿品地域では無いが鰆浜に隣接し、阿品の人たちにとっては古くから親しまれている。今では小高い山も削られ昔の面影もないが、子どもの頃にはこの付近で遊んだりアサリを掘っていた。

 今でこそ地続きになっているが、古い時代には陸地から少し離れた島であったらしい。この島の山は沖山と呼んでいたが、小さな山であるが木々が鬱蒼と繁っていた。この山でアケビなどを採って遊んだことなどが思い出される。

 古い時代の記録によると、万治元年(1658年)にこの山が御建て山に指定されたとある。御建て山とは今で言う保安林のようなものであろうか。広さは竪一町横三十間とある。

 上の図は広電軌道・国道も無い時代のもので道路は旧国道であろう。新国道が整備された際、沖山の山肌が削られ付近の様子は大きく変わってしまった。右下海中の岩は今は無い「弊司岩」である。

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 この地図は明治26年3月に発行された、沖山付近の拡大図である。道路は今の国道2号線でなく旧国道である。この地図をみると遠い昔には沖山が島であったことが伺える。陸地と島の間の狭い地に道路が通されている。

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 この図は文政7年(亜824年)頃の沖山付近である。茶色の線は道路であるが地御前神社前を海岸沿いに通り、沖山の裏側を通って拝床付近の海岸に出ている。それから先は道路が途切れているが、阿品方面に行く際は潮の引いたときに磯伝いに通行していたらしい。

 この時代には阿品付近には海岸沿いに道路が無く、他の地域に行く際は山伝いに行っていたらしい。

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 この図では火立岩脇に道路が見掛けられるので、上の図の何年か後らしい。右側な田んぼは田屋地区であるが、国鉄軌道・広電宮島線・新国道の開通により昔の面影は無い。右端に続いては地御前神社がある場所である。

 川の左側道沿いの松は、昭和40年代頃までは残っていたような記憶があるが今では見ることは出来ない。

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 この写真は昭和の初めか大正時代で地御前側から見た沖山である。磯で潮干狩りをしている人があるが、沖山の山裾には岩礁があり、その左に小さく「弊司岩」が見える。この岩も今では見ることが出来ない。 

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 この写真も上の写真と同時代のものである。右端の地御前神社前の海水浴場の飛び込み台が小さく写っている。

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 鰆浜側から見た沖山であるが、昭和30年代の風景である。この美しい山も昭和38年に山が削られ、地御前側の海岸7,067㎡が埋立てられた。

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 現在の沖山付近であるが、バイパス工事などで周囲の風景はかつての面影は見られない。
by hirosan_kimura | 2013-06-27 13:33 | 地形 | Comments(0)