素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№548 鰆浜部落の危機

e0125014_11461458.jpg
  阿品付近は西広島バイパスの出口に当たるが、バイパスを出てすぐに在来の国道の2車線に合流すると混雑するため、在来の国道を4車線に拡張する必要があった。

  今では鰆浜付近は海面を埋立て広電宮島線を沖合いに移設し、旧線路敷を活用して道路が拡幅されているが、当初計画では国道沿線の家屋が立ち退き道路を拡張することとされていた。

  当初計画ではJR線路を越える辺りから山を削り、鰆浜は民家の立ち退き、お上がり場付近は山を削り、今のJR阿品駅付近は二号線と平行していた調整池を埋め立て道路幅を確保するものであった。上図の青線が在来国道二号線、赤線がバイパスのための道路確保計画である。
(註 赤線は想像で書いたものでその幅は、当初計画の通りでは無い。)

  この計画で大きな影響を受けるのは鰆浜部落であるが、早くも金融機関が立退補償金を目当てに対象世帯を廻り預金獲得に奔走する状態であった。立退き世帯では長年住み慣れた場所を離れなければならない不安もあったが、一旦国が発表した計画が少々の反対運動で白紙に戻ることなど考えられず、早くも移転先の段取りをする家もあった。

  我家も国道沿いにあったので立退きの対象になり、先行き不安でその話にもちきりとなっていた。移転先として町が示したのは田尻沖の埋立地であった。田尻沖の海を埋めて住宅地を造成した目的の一つは、町内でも西広島バイパスの新設により多くの家が立ち退きになりその代替地にすることであった。

  今でこそ広電宮島線の駅<JRの駅もあり、大型スーパーも新設されこれ以上利便性のある所は無いとまで言われているが、当時は駅まで遠く買物も不便で陸の孤島のように言われていた。母親もこの年になって住み慣れた場所を離れ、何で田尻沖の埋立地に移転しなければならないのかと嘆いていた。

  この現状を嘆いていたのは立退きを要する世帯のみでなく、後に残る世帯も同様であった。鰆浜部落は地域が狭い上に県立病院と吉田病院の敷地がかなりの部分を占め、部落全体の家屋も僅かであった。少ない家屋のうえに国道沿いの家が帯状に無くなると、残される家屋数も僅かとなり部落としての機能に大きな打撃を受けるためである。

 そこで部落を揚げて計画の変更を求める運動を行なうこととなった。一旦、国が発表した計画を小さな部落で覆すのは無謀とも思われたが根気強い反対運動を続けた結果、海を埋立てて広電線路敷きを沖に移設し道路拡幅用地を確保することとなった。当時、一旦発表された計画を小さな部落の力で覆したと話題になったものである。
e0125014_11521213.jpg
  計画の変更により海が埋立てられ、広電宮島線延長約920mを最大35㍍海側に移設され、鰆浜の国道沿線の家屋の立退きを逃れることが出来た。光が丘団地付近の山も残り、お上がり場付近では山を少し削る程度で済んだが「お上がり場公園」の敷地が線路の沖出しで少し狭くなった。しかし阿品では2戸の家が立ち退きになり田尻沖埋立地(鼓ケ浜)に移転されている。

  鰆浜では家屋の移転は逃れたものの、鰆浜海岸の景勝地「火立岩」は無くなってしまった。たくさんアサリの獲れていた浜辺も無くなった。人口干潟が造成されているが山土のためか海の汚染によるものかは分からないがアサリも獲れなくなってしまった。

  バイパスのお陰で阿品付近の国道は広くなったが、阿品陸橋を過ぎた所より4車線が2車線のままで、休日や行楽シーズンには車の渋滞が相変わらずである。何とかならないものであろうか。
Commented by Fujio K at 2013-06-02 18:16 x
10数年前にお上がり場を見た時に「お上がり場はこんなに狭かったかなー?」と思いました。
子供の頃、海水浴などでよく遊んだものでした。
子供の頃に記憶した風景を大人になって見ると、小さく見えるものですが、広電の線路の沖出しでお上がり場が狭くなったと知り納得しました。
Commented by hirosan_kimura at 2013-06-03 08:23
 お上がり場は狭くなっただけでなく、うっそうと繁っていた松も全部枯れてしまい、昔の面影はありません。昔と変わらないのは記念碑だけではないでしょうか。
by hirosan_kimura | 2013-05-31 06:34 | 鰆浜 | Comments(2)