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by hirosan_kimura

№542 阿品のコミュニティ組織

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 阿品地域には小学校区ごとにふたつのコミュニティ組織が結成されている。「阿品地区コミュニティをすすめる会」と「阿品台地区コミュニティをすすめる会」である。

 旧廿日市市区域では小学校毎に11ケ所のコミュニティ組織が結成されているが、最初に組織が結成されたのは地御前地区で昭和52年6月5日に組織が出来た。これは昭和51年に当時の宮沢広島県知事が地御前に来られ、地域コミュニティの重要性を説かれたのがきっかけで、地御前地区を県内のモデル地区に指定されたことによるものである。

 当時は阿品地域も「地御前地区コミュニティ推進協議会」に含まれていたが、阿品台東小学校の開校により学校区の変更があり、昭和56年11月8日に「阿品地区コミュニティをすすめる会」が発足することとなった。この時点では阿品台地区も阿品地区に含まれていた。

 その後、阿品台西小学校の開校もあり昭和58年6月12日に「阿品台地区コミュニティをすすめる会」が発足し、阿品地区と阿品台地区が分離し現在に至っている。

 その後、新しい組織の結成は数年見られなかったが住民間の交流も希薄化する中で、市もコミュニティ組織の重要性を認識し他地域へも組織の結成化を推進することとなった。当時は市民間にもコミュニティの言葉そのものも理解されていず、各地域には町内会・老人クラブや福祉・衛生関係などたくさの組織があるのに屋上屋を重ねることは無い。町内会が中心となって地域作りをすれば住むことであるなどと、中々前に進むこともなかった。

 この間、市も地域に出向いてコミュニティ活動の重要性を説いて回るうち、少しづつ地域に理解も得られることになり、平成元年4月に宮内地区、同年5月串戸地区、同年9月佐方地区に組織が結成された。その後、平成2年宮園・廿日市地区、平成3年平良地区、平成4年四季が丘・原地区が結成の至りとなり、全小学校区への組織化がなったのである。

 結成化されれば市から補助金が出るが、この補助金を目当てに組織が立ち上げられた地区もあった。現在の補助金額は分からないが、当時は一地区均等額10万円に人口千人当り1万円で限度額20万円であった。

 また、結成はされたものの既存の組織との調整で揉めさん返り、今までうまく行っていた地区内がかえって不穏な雰囲気になってしまったと、市に苦情が持ち込まれるような有様もあった。紆余曲折もありながら地域の人たちの創意と工夫により、佐方地区のように市民センターの運営を地域で行なうまでになった地区もある。

 コミュニティ組織も成熟し各地区とも様々な取り組みが行なわれているが、問題なのはコミュニティ組織の地域と小学校区が異なる地域が一部あることであろう。阿品地域でも阿品一丁目は阿品台東小学校区、コミュニティは阿品地区。阿品台西地区は阿品台西小学校区、コミュニティは阿品台地区となっている。

 今では小学校と地域との連携は以前と比べて希薄化しているが、何かにつけて学校区とコミュニティ区が異なるのは問題も多く、そのしわ寄せは子どもたちに行っているのではなかろうか。

 今では世代も変わり以前とは違うが、祖父の時代、曽祖父の時代から地御前小学校と地域は一体となっての付き合いであった。学校区の変更により阿品地区と地御前地区は切り離されてしまった。その時は阿品の人々は一抹の寂しさを感じたものである。
by hirosan_kimura | 2013-05-08 11:27 | 社会 | Comments(0)