素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№445 峠(たお)

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 JR線路の奥側に鰆浜から阿品に抜ける道路がある。今では自動車も通れ舗装もしてあるが、この道は峠を掘り下げ切り開いて道路巾を広くしたものである。

 この道路が出来るまでは畦道より少し広い程度で、地元ではこの道を「たお」と呼んでいた。「たお」とは「峠」の別称らしい。

 元の道より少し位置が変わっているが、以前は左側の家のすぐ傍をギリギリの所で上り坂となっており、現在の道路の上数㍍の所あたりを右側にカーブしていた。

 母の実家が阿品にあったので良く行っていたが、この道は国道を通るより近道なので良く利用していた。夜遅く暗くなって鰆浜の家に帰る時、山道で明かりもなく鰆浜側には火葬場もあったので、気味悪く恐れ恐れ帰ったことを思い出す。

 阿品で葬儀があった際は棺桶を担いだ長い葬送の列が、国道側を通らずこの道を鰆浜の火葬場まで向かって行っていた。

 上の写真の赤い線あたりを旧道は通っていた。
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 この写真は阿品側からのものであるが、現在の道路の上を横切り、左側の階段の上付近に抜けていた。

 古い道路は、現在の道路よりかなり高い所を横切っていた。

e0125014_10491583.jpg この写真の右端が二枚目の写真の階段の上付近にあたるが、僅かに旧道の面影が残っている部分である。
e0125014_1049412.jpg この写真は阿品側に下る手前付近であるが、右側は山の斜面で左側は高い崖となっており、古い道路の雰囲気が残っている。

 阿品の海岸沿いに道路が無い時代、旧山陽道は宮内から奥に入り山陽自動車道がある谷を通り、九州方面に行っていた。

 今から838年前の承安4年9月に今川貞世が都から九州探題として着任する際、地御前神社付近より山路に入り阿品の谷を通り大野方面に抜けた際、この道を通ったと推定されるほど古い道路である。

 極一部分しか残されていない道路であるがが、この写真は当時とほとんど変わらない雰囲気が窺える場所であろう。

e0125014_10502219.jpg この写真は阿品側の平地に降りきった場所である。鰆浜側では旧道の面影は見れないが、阿品側は昔のまま残されている。
by hirosan_kimura | 2012-04-26 12:07 | 地形 | Comments(0)