№436 変貌した鰆浜(2)
2012年 04月 13日
この写真は昭和50年4月に旧火葬場下に供養塔が建立された際の除幕式の写真である。今から37年前である。
阿品で長年使用された火葬場は、明治17年9月に阿品のじんねい鼻付近より鰆浜の地に移設されたものである。
この火葬場は旧式で薪を使って火葬していたが、昭和43年に廿日市町営火葬場「霊峯苑」が新設されたためだんだん使用されなくなり、昭和47年10月に廃止されている。
鰆浜部落の民家は大半が鉄道より沖側にあり、昭和40年代初めまでは鉄道より奥には一軒の民家があるのみであった。この写真が撮影された頃でも周辺はたんぼや畑のみで、奥の方にもう一軒民家が建てられていたに過ぎなかった。 この写真では良く分からないが、奥の山は団地造成が行われている。
この写真は慰霊碑がある場所より少し奥の約50年くらい昔のものである。
犬と遊んでいるが、刈った稲が干してあるので晩秋の頃であろう。
鉄道より奥の民家は一軒のみで、周辺はたんぼと畑のみ。谷の両側には巾の狭い農道が通っていた。
この写真は除幕式の写真とほぼ同じ場所から撮影した現在の状況である。
民家も一軒のみ、火葬場がありたんぼと畑のみの寂しい地域であったが、民家もたくさん建てられ家の数も鉄道の沖の民家数に変わらないくらいになった。
周辺に残された農地も僅かとなり、家と家の僅かな畑で農作物が作られているのみである。
狭い部落の鰆浜ではあるが、海沿いはバイパス工事で海岸線が埋立てられ、電車線路は沖合いに移設され、道路は拡幅され風景は一変したが、鉄道の奥も昔の面影が無いくらいに変わってしまった。