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by hirosan_kimura

№404 広電線路の撤去

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 現在、広電市内線で宇品に行くのは広島駅・的場・比治山下・皆実町を経由するのが最短である。上図の青い線である。

 しかし終戦前年の7月までは、宇品に行くには広島駅・的場・八丁堀・紙屋町・鷹の橋・御幸橋経由で宇品に行っていた。上図の赤い線である。

 当時は戦争の真最中、軍事上の問題があったのかも分からないが、広島駅から宇品港までの所要時間の短縮と効率化のため、宇品への最短距離の軌道が計画された。当時はあらゆる物が物資不足で、必要なレールは宮島線のレールを利用されることとなった。

 昭和19年の7月21日に、宮島線廿日市~宮島間の下り線レールが撤去され上り線のみの単線運行となった。このレールを利用し的場~皆実間に新しい軌道が完成したのは、その年の12月27であったが、軌道の無い所に5ヶ月と言う短期間で工事を完成させたとは、今から考えても驚くべき速さである。

 この軌道の完成により、広島駅宇品間の軌道は約2.4kmくらい短縮されている。ノロノロ運転の市内電車でみると、例え2.4kmでも大きな時間の短縮であろう。

 阿品付近で単線運行になったのは自分の生まれる少し前。複線に復帰したのが小学校にも上がっていない昭和25年7月24日である。単線であった記憶は余り無いが、複線の工事がされているのはかすかな記憶がある。

 小さな頃なのではっきりした記憶ではないが、複線工事のため線路にトロッコが置いてあった。休日のためか分からないが工事をする人が居ない時、何人かの子どもがトロッコに乗り一人か二人の子どもが長くはない距離を行ったり来たりして遊んだのである。

 人目に付くと怒られるので、民家の無い火立岩付近から沖山付近で遊ぶのである。今の子どもたちは同年代で遊ぶことが多いいが、当時は年の離れた子供同士で良く遊んでいた。それでも余り小さな子どもは邪魔になるので遊びに入れて貰えないこともあったが、邪魔にされながらも年上の子どもに付きまとって遊んだものである。

 トロッコで遊んで居る時も上り線では往復の電車が走っていた。遠くに電車が来るのが分かると走って逃げて隠れていたが、今と違って運行本数が少ないとは言えすぐ傍を電車が走る中で危険な遊びをしたものである。

 時には運行中の電車の運転手に見つかり叱られて走って逃げるが、電車が見えなくなると性懲りも無くまたトロッコのある所に戻って遊んだような記憶もかすかにある。

 それにしてものんびりした時代であったものである。今から60数年前のことである。
by hirosan_kimura | 2011-09-24 17:28 | 広電 | Comments(0)