素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№382 阿品の家

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 昔の阿品の農家は藁屋根に土の壁作りがほとんどであった。今では建替えられ昔の農家は阿品で見ることは出来ないが、昭和40年代の初めごろには最後の藁屋根の農家が残っていたような記憶がある。

 阿品の農家と言っても特別なものでなく、近隣の農家の建物はほとんど同じような造りであった。屋根は藁葺・壁は土で出来ており、間取りの似たようなもので「田」の字の形に部屋が配置され、玄関・炊事場は土間で通利抜け出来るようになっていた。

 昔の農家では農作業を行うのに今のように耕運機などはないので、農家は牛を飼い田んぼを耕していた。上図の配置は少し異なっているが、母屋が左側に牛小屋や納屋は右側に配置されていた。

 母屋と牛小屋は続いて建てられている場合もあり、離れていてもすぐ隣接して建てられていた。近隣の地域を見ても、決まったように正面から見て母屋が左側・牛小屋等は右側に建てられているが、何か理由があるのであろうか。

 母屋の前には大抵の家に広い庭があったが、そこは収穫物を脱穀したり筵の上に広げて乾燥したりする場所となっていた。

 「田」の字の形に配置された家は障子や襖で仕切られており、暑い夏になればそれらを外せば涼しい風が家中を吹き抜けるが、昔の家はプライバシーもないような有様であった。

 便所と風呂は母屋と離れており、寒い冬でも一旦外に出て行く必要があったが、夜に便所に行く時は子供心に恐ろしかった記憶がある。

 風呂の水は井戸から汲み上げ運び薪でたいたり、炊事も薪で煮炊きする必要があり、洗濯機や電気釜などの文明の利器もなく、昔の主婦はさぞ大変だったろう。
by hirosan_kimura | 2011-03-07 13:16 | 衣食住 | Comments(0)