№261 阿品歴史年表 10
2009年 12月 08日
人口・世帯数
総人口 男 女 世帯数
鰆浜 257人 136人 121人 36世帯
阿品 295人 157人 138人 65世帯
総数 552人 293人 259人 191世帯
昭和28年(1953年)8月15日
九州北部を襲った豪雨は気象史上最大といわれ、降雨量は最高800㎜であった。村内より義捐金を募り、鰆浜1,000円、阿品1,175円の募金があった。
昭和29年(1954年)1月1日
広電「阿品駅」が「県立地御前病院前」に改称される。現在の「阿品東駅」。
昭和29年(1954年)6月25日
宮島競艇場設置に反対する意見書が、地御前村教育委員会より提出される。
昭和29年(1954年)11月1日
地御前村広報紙より
郵便切手等売りさばき所
郵便切手・収入印紙は、いつでも次の場所にありますから御利用ください。
鰆浜 藤川商店方
昭和29年(1954年)
町村合併に関する地御前村の要望書(阿品関係分のみ9
一 地御前村字鰆浜字阿品の海岸に船溜(波止場)を新設する事。
一 厳島対岸に接する沿岸の景勝地帯を、公園化する事。
昭和30年(1955年)1月15日
成人者数 鰆浜 6名 阿品 7名
昭和30年(1955年)2月15日
県立地御前病院が増築される。
増築後の規模 敷地 約5,000坪。 総建坪 約900坪。 病室数 35室
患者定数 200名。 職員 60名。
昭和30年(1953年)3月21日
阿品岩神水路復旧工事
昭和26年度災害、29年度施工。
着手 昭和29年12月中旬。
完成 昭和30年3月21日。
延長 338㍍。
工費 1,699,000円。
昭和30年(1955年)4月
広島市基町にある「児童養護施設 光の園」の、移転用地の整地作業が始まる。
昭和30年(1955年)8月1日
お上がり場へ便所が設置される。
造林事業 阿品地獄谷 5町歩。
昭和30年(1955年)8月20日
阿品で夜間屋外映写会行われる。
「新生活の村を」 山梨県の一農村のみんなが築きあげる新生活の村の姿。
「心の晴着」 因習が結婚改善を阻んでいる。それを脱して新しい生活を築いて行く。
昭和30年(1955年)8月
お上がり場で、七尾中学校・鈴ガ峯生徒約800名が、臨海学校としてキャンプ宿泊する。
昭和30年(1955年)9月30日
台風22号が阿品地域を襲う。中心気圧975㍊、瞬間風速38㍍を示し通過した。続いて10月3日には台風23号が通過し、沖山西の堤防2ケ所延長約50㍍が決壊する。
昭和30年頃
年月ははっきりしないが、この頃旧阿品公民館が建てられた。現在の公民館が建てられるまで、長年に亘って地域で活用されてきた。
写真は米軍岩国基地の兵士による、光の園の整地作業の様子である。当初はスコップ等による手作業であったが、余りにも効率が悪くブルトーザーなどの重機を使用としたが、現場までの侵入路がなかった。そこで現在の西広島バイパス陸橋附近で国鉄の列車の運行を一時停止し、線路上に木材などを積み上げ仮の道路を作り重機を運び入れた。