№259 阿品歴史年表 8
2009年 12月 06日
お上がり場に「西幸記念碑」が建立される。旧市内では最高の記念碑であった。台石高 132cm。碑高 358㎝
昭和7年(1932年)3月
国道五日市~阿品間完成。昭和6年4月、内務省直轄の下に起工。工費44万円余。延長6,557㍍。有功幅員11㍍。使用人夫129,211人。人夫賃 男1円、女45銭であった。
地御前・阿品海岸の埋めたて、沖島橋は広電との立体交差等の難工事であった。舗装はされていず砂利道のままであった。
昭和7ねん(1932年)4月10碑
観光道路の竣工記念式が廿日市小学校で挙行される。
昭和8年(1933年)10月
下田尻の海岸に「鼓ケ浜航空学校」「宮島航空研究所」が開設される。海軍関係者が水上飛行機を用いて航空士の養成を行うかたわら、宮島一周遊覧飛行も行われる。昭和16年頃廃止された。
昭和8年(1933年)11月26日
皇太子御降誕記念として、地御前青年団阿品支部が、阿品入口に記念柱を建てる。国道の改良により現在では「教え地蔵」横に移設されている。
昭和9年(1934年)5月16日
密航鮮人か 阿品海岸に発動船 十数名夜陰に上陸
昭和15年(1940年)6月10日
昭和15年4月2碑公布の快晴法律で、「宇品港域軍事取締法」が「陸軍輸送港域軍事取締法」と改正され、陸軍輸送港域が設定された。現在のふじタウウンの旧大野町境の標高108.2㍍地点に陸軍輸送港域第一区の標識の一つが設置された。
昭和16年(1941年)4月1日
地御前村立地御前尋常高等小学校が、地御前国民学校と改称される。尋常科が初等科と改称され、初等科と高等科の設置となる。
昭和17年(1942年)8月27日
台風のため、阿品川裾の堤防が決壊し床上浸水の家もあった。
昭和17年(1942年)8月28日
風水害のため宮島線が不通となる。
昭和18年(1943年)9月16日
昭和17年より田圃を埋立敷地造成が始まり、昭和17年にかけて整備された鰆浜の教員保養所が開所する。
昭和19年(1944年)
阿品の田で作られた粟が、天皇に献穀される。
昭和19年(1944年)7月21日
広電廿日市~宮島口間の下り線のレールが撤去され単線運行となる。、撤去軌条は市内皆実線の敷設に利用された。皆実線は7月27日に開通したが、これにより広島駅~宇品港間の距離は大幅に短縮された。