№258 阿品歴史年表 7
2009年 12月 05日
広電宮島線が地御前駅~新宮島駅(鰆浜火立岩)間複線で延長される。(1,056.13㍍) 工事は「地勢平坦ナレド海浜埋立により工事セルモノナリ」とある。新宮島駅仮停車場の設備は、乗降場・側線・本屋・便所・電話機とある。列車保安法は自動閉塞信号機によるとある。
この頃より国道の拡張と、広電宮島線を宮島口まで延長するため、海岸の埋立が行われる。沖山橋附近から火立岩まで約250坪。火立岩からお上がり場間約3,700坪。お上がり場から田尻間約4,800坪を埋め立てる。土砂は沖山・鳥山・お上がり場山鼻・田尻山を削って利用した。
大正15年(1926年)7月20日
芸備日日新聞の記事
市街線(己斐ー新宮島
下り午前五時から夜十一時四十分迄・上り午前五時五十五分夜十二時十五分迄。約二十分毎に発車。賃金二区迄一区に付四銭。三区以上一区に付三銭。
区間と停留所
己斐から「高須・古江」「草津町・荒手」「井の口」「五日市町」「隅の浜」「廿日市町」「串戸・地御前・新宮島」以上七区。
昭和3年(1928年)6月27日
国鉄、廿日市~宮島(現宮島口)間が複線化される。五日市~廿日市間は大正13年11月30日に、宮島~大野浦間は昭和3年7月20日に複線化される。
昭和3年(1928年)7月6日
NHKが広島でラジオ放送を開始し、阿品でもラジオが聴けるようになる。
昭和5年(1930年)1月7日
広島バスが宮島線を運転する。初発午前7時、終発は午後6時で一時間半毎に発車する。姉妹会社であった広島ガス電軌が獲得した、己斐~宮島間の乗合自動車営業権を譲り受けて営業開始されたものである。
同線使用の自動車は十四人乗りのものであった。停留署所は己斐が始発で、高須・古江・草津・梅林入口・井口・八幡橋。五日市・廿日市・平良・宮内・地御前・鰆浜を経て宮島に至った。全線を十二区に分け一区間5銭、全区間60銭の運賃であった。
昭和6年(1931年)
広島市斜屋(ちぎや)町で開業しておられた吉田寛一先生が、鰆浜の煉瓦工場跡に分院を開院される。内科・精神科60床のベッド数であった。
昭和6年(1931年)
地御前の青木勇氏が、田尻に新しい牡蠣養殖場2.2㌃開設する。
昭和6年(1931年)1月28日
広電宮島線・新宮島~宮島間の運輸営業開始の認可が、鉄道省より降りる。
昭和6年(1931年)2月1日
広電宮島線、新宮島~宮島間が複線で開業する。延長2,564.89㍍。同時に阿品駅(現在の阿品東駅)gが開業し新宮島駅は廃止される。
昭和6年(1931年)2月1日
新宮島~厳島間の連絡船航路が廃止される。
昭和6年(1931年)2月1日
広電の宮島口までの延長に伴い、鉄道省との間で相互に通し切符の発売などの、連帯運輸の取扱を開始するとともに、鉄道省の駅との混同を避けるため、電車五日市、電車廿日市と駅名が変更され、終点は電車宮島とされた。