№255 阿品歴史年表 4
2009年 12月 02日
「地御前小学校が「地御前簡易小学校」に改称される。
明治19年(1886年)11月4日
芸備日報より
道路改修
佐伯郡に属する国道の改修は、豫て服部長七が工事を請負ひ居りしが、右の内海岸の道路は何れも人造石にて築き、且道幅も従前より壱間半を拡めたり。
明治23年(1890年)
暴雨風雨のため、お上がり場の石垣の一部が崩壊し、その後長く潰落に委せられていた。
明治24年(1891年)
阿品より厳島への渡海船が11隻ある。運賃は乗客1人6銭、2人8銭、3人9銭、以下一人増すごとに1銭追加。
明治24年(1891年)4月
地御前簡易小学校が、地御前村立地御前尋常小学校と改称される。
明治25年(1892年)9月30日
広島以西馬関に至る、鉄道布設起工準備のため、鉄道庁官吏派出し、沿線の土地に立ち入り実測するので、地主においては協力を依頼する訓令が、佐伯郡長 杉山新十郎より出される。地御前に計画されていた駅の設置は、地元の大反対により赤崎(宮島口)に設置されることとなる。
明治26年(1893年)10月20日
芸備日日新聞の記事
廿日市の国道
佐伯郡にては廿日市以西の国道は、非常に破損し車馬の通行も出来ざるに至りたれば、近日九州地方より帰営する、小機動演習隊の通行にも差支えればとて、同郡長より其修繕方を昨日本県知事へ上申したりと。
明治28年(1895年)年5月
鰆浜に「地御前村煉瓦製造所」が開設される。設立者は諏訪坊太郎で、煉瓦の製造と販売を行っていた。
明治28年(1895年)4月12日
傷病兵慰問のため広島大本営に行啓された昭憲皇太后が、厳島行啓の際阿品のお上がり場よりご乗船。即日に御還啓あらせられたり。
明治29年(1896年)1月9日
山陽鉄道広島三田尻間布設のため、田尻地先の海面を鉄道用地として6反9畝、国道用地として2反8畝余の埋立・造成工事に着手する。
明治29年(1986年)10月20日
山陽鉄道地御前・阿品両隧道掘削工事が着手される。
明治29年(1896年)12月
阿品~厳島間(2.4㎞)に海底ケーブルが布設される。