素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№237 地御前神社 

№237 地御前神社 _e0125014_7184531.jpg
 このブログは阿品限定のため、内容も限られるため話題が少なくなるばかりである。今回は阿品を外れて地御前神社を記事にしてみた。

 地御前神社は厳島神社の外宮であるが、仁安三年(1168年)今から約840年前に建物が建てられた。現在の建物は宝暦十年(1760年)今から約250年前に再建されたものである。

 厳島は神の島と言われ、神職と言えども宮島に人の住むことが許されなかった。厳島へは毎日神官が舟で渡り神事を行っていた。

 このため嵐等で厳島へ渡れない時は、地御前神社で神事を行っていた。今では地御前神社は寂れてお参りする人も僅かであるが、当時は神社の敷地も広く、たくさんの建物があったと伝えられている。

 その後、厳島に神官の人が住むことが許され、地御前神社は寂れていった。

 上の図は古い時代の地御前神社周辺の絵図であるが、今では大きく変容している。神社は浜辺に建てられ、満潮時には神社のすぐ側まで波が寄せていた。

 今でも見ることが出来るが、神社右側の柱が中ほどで切断され上部が無いのは、神社側まで舟が着くことが出来、その舟を繋ぐために柱が中ほどで切断されているのだそうである。

神社の裏側は敷地が削られ、国鉄の線路が敷設された。前側には広電宮島線と国道が開通し、風景は一変している。

 神社前の海の中に鳥居が建てられているが、今では国道となっている。神社の右側に大きな松があったが、この辺りは小学校の通学路でもあった。学校の帰り道にこの松に登って遊んだ記憶がある。

 神社左側の川の側にも大きな松が見える。田屋の住川さんの家の側にあったのを記憶しているが、今では二本とも見ることは出来ない。

 神社裏側の山は桃山と言われ、たくさん桃の木が植えてあったが、今ではこの山も削られ住宅団地となってしまった。

 川の左奥の谷が田屋の水田であるが、国鉄が通り、西広島バイパスが開通し、住宅が建てられ昔の面影は全く無くなってしまった。

 阿品は左側山の裏側辺りでこの図では隠れているが、左端海の中に一本の松が描かれた小島が「火立岩」である。

 その右の帆掛け舟が二艘見える上側が「沖山」である。学校の帰りに道草で良く遊んでいた「沖山」も削られてしまい、昔の面影は全く残っていない。

 神社周辺の風景は大きく変わったが、変わっていないのは絵図の上部に描かれている、遠くに見える山々のみとなってしまった。
by hirosan_kimura | 2009-10-28 09:51 | 神社 | Comments(0)