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by hirosan_kimura

№229 阿品公民館

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 土曜日と日曜日に阿品公民館の公民館祭があった。
 
廿日市市内の公民館は「市民センター」となっており、市民センター祭が正しいのであろうが、長年、公民館と呼んでいたので、今でも公民館と言った方が馴染みがある。

 10時半頃覗いてみたが、早かったせいか来場者も溢れるばかりとまでは言えないまでも、かなりのの人が来ておられた。

 駐車場にはバザーやうどんなどの出店、館内では公民館で活動しておられるサークル等の展示物や、催しものが行われていた。

 これだけの行事を行うには、職員を始め実行委員の人達が企画・準備・当日の運営と大変であっただろう。

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 廿日市では小学校区に一箇所公民館が整備されている。

 阿品公民館は昭和56年3月に完成している。敷地面積は872.95㎡。RC三階建てで延床面積872㎡。工費は1億3,400万円であった。

 開館間もなく落成式が行われ地域を挙げてお祝いをしたが、その中で祝いの餅つきが行われ。餅つきに合わせて「餅つき唄」を歌ったのも懐かしい思い出である。

 開館準備等もあり、事業開始は5月23日からであるが、初代館長は高橋先生であった。

 あえて先生と呼ぶのは小学校時代の恩師だからである。小学校の3・4年生で二年間の担当であった。

 高橋先生は、普段は優しい先生であったが、怒られると震えあがるほど恐ろしい先生であった。この先生の特技はチョーク投げであった。

 授業中、席で無駄話などしているといきなりチョークを額目がけて投げられるのである。命中率が抜群で、後方の席であっても教壇から投げられたチョークが、見事に目掛けた児童の額に命中していた。

 先生にチョークを投げられた児童はたくさんいたが、それを恨みになど思う者はなく、卒業後の同窓会などではいつもその話題がでていたものである。

 当時の先生は今と違い、児童・保護者・地域の人にも慕わられ、高橋先生が阿品公民館の館長になられた時は、地域では喜び歓迎したものであった。

 その先生は惜しいことには早くに亡くなられた。

 阿品に公民館整備の話が出た時、建設場所について随分議論があったようである。

 阿品と言えば、鰆浜部落(今阿品一丁目)と阿品部落(今の阿品二丁目)が主であったが、どちらも自分に有利な意見を譲らず、鰆浜と阿品の中間の山を造成して建てたらとの案も出たが、さすがにその案は認められず、結局今の場所に整備されたらしい。

 当時はJR駅も無かったが、その後公民館の目の前にJR駅が整備され、広電阿品駅とも横断歩道で結ばれ交通の便は抜群の公民館となった。

 このため、JRや広電を利用し阿品地域以外の利用者もたくさんおられるのではなかろうか。
by hirosan_kimura | 2009-10-19 17:19 | 社会 | Comments(0)