素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№193 さみしい管弦祭

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 7日金曜日は厳島神社の管弦祭であった。御座船が厳島神社から地御前に渡る頃を見計らって、海岸に見に行ってみた。

 例年の如く寂しい限りで、御座船を取り巻く船は十数隻。海岸から見物している人も数人のみ。

 昭和40年代の始め頃までは、御座船の周りを数百隻の船が取り囲み、海岸端にはギッシリと見物人があったものである。
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 毎年管弦祭りが近づくと、数日前から瀬戸内海の島々から遠くは四国の方から、家族ぐるみで漁船に乗り込み船に泊り込み自炊をしながら、祭りに備えていた。

 その数は数え切れないほどで、神社を中心に西の松原から小学校の方までギッシリと埋め尽くしていた。

 漁業を営む人達が、厳島神社に安全祈願をするためと、楽しみの少ない時代の数少ない娯楽でもあったのだろう。

 その漁船が、御座舟に付いて地御前沖まで伴をしていたので、御座舟の運行のみでも圧巻であった。

 管弦際は旧暦の6月17日に行われるので、地元ではこの祭りを「十七夜(じゅうひちや)」とも「おかげんさん」とも呼び、子ども達はこの日を心待ちしていたものである。

 4年に一回うるう年があり2月に1日 日にちが追加されるが、旧暦では「うるう月」があり今年は5月が二回あったため、管弦祭が8月になり遅くなったが、例年では学校の夏休み前のことが多い。

 子どもの頃には管弦祭の日は小学校が昼までで終っていた。下校途中に地御前神社の境内を通って帰宅するのに、道の両側をギッシリと屋台が埋め尽くし、中には早々と営業をしているものもあった。

 わくわくする気持ちを抑えながら急いで家に帰り、昼食を済ませて僅かな小遣いを貰いお祭りに行くのが楽しみであった。

 夕方が近づくと厳島神社にお参りするため、国道の下りは渋滞が起き、下り電車も乗客で身動きが出来ないくらいであったが、今では国道も広電もガラガラ。

 御座舟が厳島神社を出発する頃になると、阿品の海岸では見物客で一杯であったが、今では僅かな人が居るのみ。

 御座舟が地御前神社に到着する頃が祭りの最高潮で、地御前神社附近は人ごみで溢れかえっていたが、今ではその頃の面影もない。

 祭当夜は各家々では親戚や知人を招き、子どもはご馳走を食べ、大人はお酒を飲んで楽しんでいたが、今ではそのようなことをする家も僅かである。

 大人も子どもも一年の数゙少ない楽しみの一つでであったが、今では阿品の人でも管弦祭があったことさえ気付かない人もある。

 誠に寂しい限りであるが、昔のような賑わいを取り戻すことは出来ないのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-08-10 01:55 | 行事祭礼 | Comments(0)