№191 原爆記念日
2009年 08月 06日
本日は原爆が投下されて64年。平和公園では盛大に式典が行われる。
広島での原爆投下時の正確な犠牲者数は今でも不明で、9万人~12万人、中には14万人との推説もある。
被爆者健康手帳所持者は236,569人で昨年より8,123人減。手帳所持者の平均年齢は75.92歳で年々高齢化が進んでいる。
阿品では広島市から遠く離れているので、海岸沿いの家で窓ガラスが割れたり、引き違い戸が爆風で外れたくらいの被害しかなかったが、阿品だけでも数人の死者が出ている。
そのほとんどが若者で、学校に行く途中での被爆死が多かったそうである。
一昔前までは老人が集まると原爆の話しがいつも語られていたが、今では原爆の話題が出ることはほとんどない。
その日の夕方くらいから怪我をした人が阿品にもたくさん辿り着かれ、目を背けたくなるほど全身火傷だらけの人。翌日からは海岸にたくさんの死体が流れ着き、火葬場で火葬するのに間に合わず、海岸や谷間に埋葬したこと。
子ども心にも恐ろしい話しばかりであったが、今では語り継ぐ人もいない。
兄も犠牲者の一人で、当日は通学途中 白神社附近の電車の中で被爆したらしい。当日帰宅しないため、翌日は母が一歳にも満たない自分を背負って市内を探し回ったが兄は見つからなかったそうである。
翌日、地御前の知人より兄が坂町の鯛尾という所に収容されていることを聞き、艪で漕ぐ小船で兄を迎えに行った。
特別大きな外傷も無かったそうであるが、すぐ隣の吉田病院に入院し治療してもらったが、8月11日に亡くなった。16歳の若さである。
生前 母がよく、「遺体も見つからない人も多い中で、自宅に連れ帰り病院に入院し、母親や家族に看取られながら亡くなったので、よしとしなければならない」と言っていたが、子どもに先立たれた嘆きはどのようなものであったろう。