素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№160 射撃場と水晶山

e0125014_1493480.jpg 小さな写真を拡大したので極めて不鮮明であるが、現在の「光が丘団地」附近を地御前側から遠望した風景である。

 今でこそ「阿品一丁目」と住居表示されているが、この地は地御前に属し阿品では無かった。

 中央の白い部分は、国道・広電宮島線が敷設される際、海を埋立てため山砂が削られ、山肌が露出しているものである。

 削られた部分は崖状になっており、地御前側は山の一部が残されている。現在は西広島バイパスの出口附近で、残された山の一部も橋脚が建てられ今では残っていない。

 写真下の中央やや右寄りと、真中左部分の白い部分は国道で、当時はコンクリート舗装であった。左側上方にかすかに見えるのは宮島である。

 地御前側に僅かに残された山を「水晶山」とかってに呼んでいた。小学生の頃、学校の帰りや、休みの日にはここで水晶を良く掘っていた。

 余り大きな水晶は掘れなかったが、時には大きなものが採れることもあり、子ども達は大きさを比べあっていた。今から50年以上前の懐かしい思い出である。

 南側山肌は垂直に近く、高さ30㍍くらいあった。一時、この場所を利用して射撃場が設けられていた。どこが運営していたのか分からないが、良く射撃が行われていて時には岩国基地の米軍兵が来ていることもあった。

 径15cmくらいのアスファルト状の物で作られた皿を、機械で空中に打ち出し皿を目がけてライフル銃のような物で打って射撃をしていた。皿の色は黒かったが裏側は白く塗られていた。

 小学校の帰り道で射撃があると飽きもせず良く見物をしていた。近づくと危険なため係りの人に怒られ、遠くから見物していた。

 射撃の無い日には皿を拾らいに行っていた。銃が命中せず割れていない皿を探すのであるが、皿を持って帰っても何に使用すると言う目的も無かったが、誰がよりたくさん集められるかというだけのことである。

 射撃場もいつの間にか廃止され、崖地は斜面状に崩され今では「光が丘」という小さな団地に造成されている。

 今では団地と西広島バイパス出口となり車が行きかい、水晶の採れた小山と射撃場の面影は全く無い。

 夢中になって採った水晶、使用目的も無いのに競って集めた皿はどこに行ったのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-06-12 04:58 | 地形 | Comments(0)