№121 釣り遊び
2009年 04月 14日
今の子ども達は釣りをしているのを余り見かけないが、たまに釣りをしているのを見ると、立派な釣り道具を持ち、餌は店で買っているようである。
昔はリールの釣り道具などなく、釣り針・釣り糸・鉛のおもりを買い、後は糸に針を結びおもりを自分で付けていた。餌は勿論自分達で掘って採ったものを使っていた。
阿品の子ども達は小学校に上がるか上がらないうちから釣り遊びをしていた。最初は釣り道具など使わず、木綿糸に針を付け、小石をおもりにしたようなもので釣っていた。
堤防下の大きな石がある隙間に糸を垂らすと、「ごり」が面白いようにつれていた。他地域では「ごり」を食べるようなところがあるらしいが、阿品では「ごり」など食べる人はいなく、釣れた「ごり」は海に逃がしていた。
少し大きくなると本格的な釣り遊びをしていたが、粗末な釣り道具でも海岸のすぐそばで、「きす」「あいなめ」「ぎざみ」「こち」などが、良くつれていた。「きす」も簡単につれていたが、形のきれいな魚である。
「あいなめ」も珍しい魚でなく良くつれていた。煮物にすると美味しかったものである。
「ぎざみ」は他では「ベラ」と言うらしいが良く釣れる魚であった。海底が砂地のようなところで釣れる魚である。「赤ぎざみ」「青ぎざみ」と言っていたが、そのまま焼いたり、焼いて酢に漬けて食べていた。
「こち」は見た目はグロテスクであるが、身がポロット外れて食べやすい魚である。
「さより」も良くつれていたが、吸い物に入れてたべるくらいで、釣れても余りうれしくなかった。
「かれい」は手のひらくらいの小さなものは良く釣れていたが、大物はめったに釣れず、釣れた時は得意になっていた。
「ハゼ」も良く釣れていたが余りおいしい魚でなく、釣れても捨てたりしていた。他の地域ではわざわざハゼ釣りに行く人もあるらしいが、不思議に思う。
「からこぎ」はきれいな魚であるが、針に猛毒があり刺されると大人でも泣きたくなると聞いていた。幸い刺されたことはないが、「からこぎ」が釣れると、大騒ぎをして針から外し捨てていた。
子どもでも釣れる魚はこの程度のものであったが、中学生くらいになると、「ちぬ」や「たい」などの大物を釣っており、子どもごころにもうらやましくてならなかった。
このようにして昔の子ども達は釣りをしながら育ったが、今では阿品の子ども達でも釣りをする姿を余り見かけない。海が汚染され魚が釣れないためであろうか。
それとも釣り以外に楽しい遊びがたくさんあるのであろうか。海が危険で、親が釣りに行かせないのであろうか。
はえなわ漁もしていました。煮魚として食べたと思います。餌はヤドカリを使っていました。餌として何を使うかとかはノウハウとして内緒だったかもしれませんが。おばあちゃんの兄達がボラを釣って、そのままにしていたら「食わぬ殺生はすな。」と父親に怒られていたそうです。阿品の木村には船がありませんでしたか?
阿品での釣りの思い出は堤防からのキス・アイナメ・チヌゴそして牡蠣イカダでのアジゴ釣り
老後は海の近くで過ごせれば楽しいと思いますが ?
小さな時は船で漁に行く父親によくついて行きました
宮島で大きなカレイを釣り褒められた事を覚えています。